Galleryに阿選忌まんがなどをアップしました。ちょっとだけフライング。
ちょこちょこと絵を描いては載せたりしてるんですが、らくがき絵をGalleryに載せるのもどうなんだろう…とか思ったり、いやそもそもらくがきとそうでない絵の線引きって何なんだ…?そんなに技術の手数の多いお絵描き人でもないし…とか思ったり。
またサイトの改装が必要なのかもしれません。と言いつつ、来年の年始頃までは原稿の色々で手を付けられそうにもないので、しばらくは現行のままにしておくと思います。見づらいかとは思いますが何卒ご容赦ください…。
最近のらくがき(定義不明)など。
ごつごつして太い男性の脚とハイヒールの組み合わせ、性癖なんですよね…。描いててめちゃくちゃ楽しかった。
あと、ようやく正頼描きました。
驍宗様よりは見た目年上で、でもすごくおじさんというほどでもなく、漫画では阿選と登場させるので対比を考えて髪はベタを塗らない感じで…とか自分のイメージも併せて考えたらこうなりました。教育係な訳だし身なりはきっちりしてるんだと思う。
肝心のお話はまだ全然暗礁に乗り上げているのですが…。
やっぱりもう一度原作に立ち返って考えよう!ということで、最近は色々の合間に原作しっかり読み返し会を再びやっているのですがさすが白銀、今だに発見が色々とあって驚きます。情報量が本当に凄すぎる。いや私のキャパが小さすぎるのもあるのですが…。
考えた事の一つなんですけど、阿選が謀反を決めた時期はいつなんだろう、という事を考えていて。
阿選は驍宗様の急ぎようと王朝の不和を見て期待を抱き、琅燦にその期待を打ち砕かれて謀反を決めたとの独白があった訳ですが、それは冬栄の後だったのではないか?という。『急ぎすぎる驍宗と朝の不和』は冬狩で最も露わになったのでしょうし、『冬至の郊祀の後、側近を集めて』から阿選が漣に出立するまでは、準備を考えるとほとんど時間がなかったのではないかと思われまして。
本文の記述を合わせて計算すると、阿選が漣から帰ってきたのは1月末頃と推測されるのですが、「黄海から貍力を運ばせ」るのにはだいたいひと月ほどで事足りますし、琅燦が黄朱に協力を求めたとすると、もっと短期間で用意が可能だったかもしれないなと。
驍宗様の函養山行きは早くて3月中旬頃ですので、冬栄の後でも時間的には十分余裕がありますし、色々と手落ちが多く感情任せな部分も大きいと思われる謀反計画を鑑みると、むしろこれくらいの短期決戦だったのかもしれないな~と。
阿選、密かに薄暗い気持ちを抱きつつも、案外漣では空気に当てられて鷹揚な心持だったんじゃないか説です…。新刊の為に珍しく考察らしきものをしてはみたんですけど、既に皆様の共通認識だったり何か認識の抜けがあったらちょっと恥ずかしいな。もし何かありましたらこっそり教えて下さい…。
他にも色々と気づいたこと思ったことはあるのですが、文章を書くのが苦手なもので珍しく頭を使って長文を書いたら疲労困憊してしまいました。また元気な時に書けたら書きに来たいと思います…。
いろいろ言ってる間に阿選忌Dayになっておりました。お祭りですわ~い!!陰ながらめっちゃ楽しんで参ります!という訳で、私もさっき上げた漫画をPixivにこそこそ再掲してきます…。